ステルスライフ

あの日僕も死んだ

ステルスライフを知ってみてほしい人

 ステルスライフなんて言葉を思いついて、なんとなくそれに救われるに近い感覚を得て、こうして言語化を試みている訳だが。

 

 もし、そんなことでわずかにでも気がマシになるのに汎用性があるなら、ステルスライフを誰に勧めたいかといえば、うつ予備軍の人だ。

 うつ病確定の人ではなく、『自分はうつなんじゃないのかなー』と思いつつ、『いやいやこの程度で病気とか、ないわー』と考えている人。ネットでついつい、うつチェックテストとか試してみて、毎度重症とか出ちゃってても、ないわーって思っている人。もしかすると病院に行けば、病名ついちゃうかもねーとか思いつつ、『病院行くとか馬鹿馬鹿しくて、ないわー』って毎日頑張ってる人。そういう人に、オススメしたい。後は、心が独りのひと。シングル、一人暮らし、誰がいても自分が独りだと思ってるひと。(ま、つまるところ、榛原と同じ症状の人だな。)

 

 ステルスライフとは、ただの捉え方だ。ライフスタイルにレッテルを貼ってみただけだ。だいたい似たような生き方も、端から見れば、単純に小市民の生活と言えるだろう。とくに家族がいれば完璧に。

 

 しょせん、物事はすべて、捉え方だ。端からどう見えようとも構わない。

 

 忍者のように生きろ、壁に貼付け、行動は夜だけ、なんて言ってる訳じゃない。端から見れば普通で構わない。

 いや、言いようによっては、忍者のように生きろということだ。すなわち、【草】であれということである。ここでいう草とは、忍者の任務の一つで、他国で庶民としてひたすら平凡に目立たぬように生き、有事に備えるのが役目だ。

 こそこそ隠れる必要はないが、目立ってもいけない。軽くあなどられるために、ちょっと周囲より見下されるくらいでいい。大それたことはできない人物を装って、じーっとして、いざという事態に備えておく。忍耐のいる役目なのである。

 もちろん、ステルスライフはただの生き方なので、草と違って、いざと言っても仲間からつなぎが来たりはしないが、常に有事を意識して生きることで、希死念慮を薄められるようになる。と思う。

 

 言い換えれば、ステルスライフとは、草の生き方をロールプレイするのに近いかもしれない。

 なんのために生きているのかわからない。生きる意味なんてない。だからといって、簡単に死ぬ方法もない。日々をやり過ごさなければならない。そんなときに、息をひそめてやり過ごしている自覚をもって生活をしてみてほしい。漠然と苦しむ日々が流れていくのではなく、今はあくまで意志を持ってステルスモードに移行しているのであって、ステルスモードにこそ、意味があるのだと考えてみてほしい。

 毎日つまらない、何故無駄な人生を生き続けなければならないのか、やりたいことができない、やりたくないことばかりやらされる、やりたいことも見つからない、などなど、思い詰めている人は、ぜひ、今は敵地に潜伏中なのだと切り替えてみてほしい。

 それが、ステルスライフである。