ステルスライフ

あの日僕も死んだ

ロストライフ

 ようやく、死のうと思う日々を突き抜けたかと思って始めたこのブログではあるが、当機は再び、生きてても仕方ない圏に突入しつつある。もっと生活の知恵っぽい清貧ブログになる予定が、すっかりメンタル系に偏っているのもそのせいだ。

 こうなると、ブログタイトルはいっそのこと、ステルスライフより、ロストライフの方が、ぴったりだったんじゃないかとふと思う。ロストライフ(生活)に、ライフ(生命)をロストしたい。ダブルミーニングである。

 

 しかし、そう考えると、ステルスライフとは、ネガティブなようでいて、実にポジティブな考え方なのである。

 ステルスという単語は、それだけで単純にステルス機を連想させて、そこにはライフを前へ進めるための、推進力を感じさせるではありませんか。すごい。ステルスライフという言葉に辿り着いた時は、今よりはもうちょっと元気だったということですな。

 すなわち、ステルスライフとは、ネガティブな生き方ではない。むしろ、荒廃の時代をなんとか死なずに生き抜こうという強い考え方なのだ。

 

 とはいうものの、ストイックな生き方の一つであることは間違いないと思う。どんな形でも楽しむという行為は存在していない。何をしても楽しくないので、最低限の外出以外は、室内でじーっとしているだけである。地味極まりない。やはり、ロストライフと呼ぶ方がふさわしいかもしれない。

 

 ブログステルスライフでステルスライフの話を書くからと言って、生き方を提唱しようという訳ではなく、そのつもりで生きる榛原の日々を書くつもりで、以前にもそう書いたが、一番とらわれているのは自分のようで、読みでのある文章を出そうとして、更新できずにいる。もう自分の中で結論の出た、何故、人は死ねないのか、を繰り返してしまうからだ。死にたい、何故死んではいけないのかと呟くたび、あ、結論出たのだったとため息になる。

 

もう、ずっと疲れ果てているのに、いつまで頑張ればいいのだろう。