ステルスライフ

あの日僕も死んだ

ステルスライフの定義(2)

昨日、大事なことを書きそびれたので、同じ話題を続ける。

というか、昨日、ここを書いた後にメモを眺めたら、書いてあった。

何故、ステルスライフに健やかが欠かせないのか。

それは、ステルスライフが目指すところは、ピンコロだからである。

ピンピンコロリ。すなわち、コロッと死ぬ瞬間までは、ピンピンと生き抜くということだ。

なんのために生きていなければならないのか。もうそろそろ飽きたし、続ける意味も見当たらない。さりとて、ぽいっとやめられるものでもない。どう気持ちの折り合いをつけるかと困っていた時、ふと、ステルスライフという言葉を得て、榛原は、これを人生の指針にしてしばらくやってみようと思えるようになった。

生きていくのは面倒くさいが、死ぬのはもっと面倒だから、仕方ない、最低限、省エネで、レーダーに引っかからないぎりぎりを低空飛行して生き延びるか、という意味である。

それで、より洗練された生き方になるといいなーとここに書き始めた。とにかく、一日一回書くことにして、下書きなしでぶっつけ本番、むしろ、説明することより、思考をまとめるために書いているようなものである(繰り返し、バージョンアップしていく予定)

 

ここ二日、ステルスライフを人に説明するために書き始めてわかったこと。

ステルスライフは、ミニマリストや、シンプルライフあたりにちょっと似ている。

だが、別段、断捨離しようとも思わない。そういえば、むしろ、ステルスライフを意識したら、少し物が増えたかもしれない。これについては、後日。多分、明日。

シンプルライフは、シンプルライフの定義が人それぞれなので、榛原にとってのシンプルライフはステルスライフのことだと言えば、シンプルライフの一種とも言えるかもしれない。

けれど、シンプルライフというと、個人的には何故か、白い部屋と生成りのファブリックのイメージが浮かぶ。ちょっと違う。

ステルスライフとは、常日頃から、非常時みたいな感覚である。明日死ぬことになっても驚かない感覚。平々凡々に暮らしていても、気持ちだけはサバイバルというか。

シンプルライフという響きや、健康に気を遣って、なんて言い方は好みじゃない。今が平時だとはどうしても思えない。すこやかに、ひっそりと、身を低くして、生き抜こう。

 

うん、健やかを説く前に、この中二病を治した方がいいんじゃないのかなとは常々思っている。